PLUSONICA 2020 Episode 3|小玉ひかり

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目次

「普通の人」であることを、歌にする。

2020年、小玉ひかりは20歳だった。

4歳から始めたクラシックピアノ。

小学生の頃、テレビでアンジェラ・アキがピアノを弾きながら歌う姿を見て、シンガーソングライターという存在を知った。

中学生になると高橋優の音楽に惹かれ、自分でも曲を書き始める。

Sony Music「the LESSON」、そして「ぷらそにか」。

音楽を続ける中で、少しずつ自分の歌を聴いてくれる人が増えていった。

けれど、彼女が目指していたのは、誰かとは違う特別な人間になることではなかった。

インタビューの中で、彼女はこんなことを言っている。

「私はめっちゃ普通の人なんです!」

そして、

「人間『小玉ひかり』を、たくさんの人に好きになっていただけたら嬉しいです。」

20歳になったばかりの彼女が語った、歌、声、コンプレックス、夢、そして「普通」であること。

2026年の今、もう一度読み返してみたい。

これは、2020年の小玉ひかりの言葉だ。


小玉ひかり(こだま・ひかり)

小玉ひかり Profile[2020]

小学生の頃からシンガーソングライターに憧れて、中学3年生の冬に、初めて作ったオリジナル曲を地元の小さなライブハウスで披露する。

高校生になってから本格的に創作活動を開始するも、受験期を迎えて1年間の活動休止を余儀なくされる……。

大学入学を機に創作活動を本格的に再開。

セッションユニット「ぷらそにか」や、アカペラユニット「WhiteBox」などでの活動のほか、自身のチャンネルでも精力的に発信を続ける、ピアノ弾き語りの女子大生シンガーソングライター。


2020 ORIGINAL INTERVIEW

4歳で出会ったピアノ

――音楽との出会いのきっかけを教えてください。

音楽に出会うきっかけは、4歳の頃に始めたクラシックピアノが、出会いです。

その頃はピアノを頑張っていたので、コンクールに出たりしていました。

ただ、まだその頃は、アーティストになることは意識していなかったと思います。


アンジェラ・アキを見て知った「シンガーソングライター」

――シンガーソングライターになろうと思ったのはいつ頃ですか?

シンガーソングライターという職業を知ったのが、たぶん、小学2年生ぐらいの時だと思います。

ミュージックステーションで、アンジェラ・アキさんが「手紙」という曲を生演奏でピアノを弾きながら、歌っているのを見て、「この曲すごく素敵だなあ」って思ったんですよね。

しかも、その曲を自分で作詞作曲していることを知って、「全部自分でオールマイティにやっている人がいるんだ」と衝撃を受けました。

その頃から歌を歌いたいなと思っていたのですが、シンガーソングライターという職業の存在を知り、それなら、自分で書きたい曲を書いて、自分で書きたい詩を書くことができたら、すごくかっこいいなと思いましたし、自分の曲でみんなを元気にさせられたらいいなと、思い始めたのがきっかけですね。

――アンジェラ・アキさんがきっかけだったのですね。そこから、本格的にアーティストになろうと思ったきっかけとかあります?

中学生になってからは、一番聴いていたアーティストが高橋優さんで、強いメッセージ性の歌詞を書かれていて、訴えかけるような歌声にすごく惹かれてました。

改めて、シンガーソングライターになりたいと強く思わせてくれたのは高橋優さんですね。


Sony Music「the LESSON」で広がった世界

――Sony Musicの「the LESSON」との出会いは何がきっかけだったのですか?

ライブ活動は高1ぐらいから四谷の天窓さんに出させて頂いたんですけど、ライブで仲良くなった同年代のシンガーソングライターの人達が、Sony Musicがやってる「the LESSON」の話をよくしていて、高2の時に「the LESSON」のオーディションを受けました。

ありがたいことに合格を頂き「the LESSON」の5期生になったんです。

「the LESSON」を通じて、シンガーソングライターの人達との出会いが刺激になって、アーティストになりたいという気持ちが強くなりました。

――それはどういった意味で刺激を受けましたか?

なかなか、自分でもアーティストになるために、何をすればいいのか、わからなかったことが多かったので、ただただ、自分の好きなように曲を書いたりしているだけだったんですね。

でも、「the LESSON」で、同世代のアーティストが音楽を頑張っているのを見て、「こんなやり方もあったんだ」とか「こんな歌詞を書いている人がいるんだ」という感じで、いろんなアーティストの人達と繋がれたことで、自分の視野も広がったし、刺激を受けました。

これから、私も負けないように頑張らないといけないと凄く思いました。


ピアノだけではなかった音楽経験

――楽器はずっとピアノだったのですか?

ピアノはやっていましたが、小中高と部活は吹奏楽で、クラリネットとトランペットをやっていました。

今、ギターを練習しています!

吹奏楽部って、指揮者以外に、指揮者が指示しきれない部分を指示するコンサートマスターという役割の人がいるのですが、それをやってました!

なので、色んな楽器の楽譜を見ながら、指揮していました。


最初の曲は、母の日に

――曲を作り始めたのは中学からですか?

そうですね、まだまだ拙い曲でしたが中学から作り始めました。

――一番最初に作った曲は覚えています?

覚えています、作ったというか、ちゃんと、人に聴いてもらえるような曲っていうのが、母の日に母に作った曲です。

――いい話ですね、お母さんは喜んでいましたか?

母は台所で号泣していましたね……涙もろい人なので……(笑)


PART 2

自分から戻った「ぷらそにか」

――「ぷらそにか」に入ったのはいつ頃ですか?

大学に入った時です、大学1年の6月だったと思います。

丁度この前、ぷらそにかに入って2周年だったんですよ。

――ぷらそにかに入ったきっかけは何だったんですか?

実は「the LESSON」を卒業した時に、一度は「ぷらそにか」スタッフの方に誘っていただいていました。

その時、凄く入りたい気持ちはあったのですが、いろんな事情で、一度お断りをしたんです。

それから、大学生になって、私から、「今からでも入れてもらうわけにはいかないでしょうか?」って、「ぷらそにか」のスタッフの方に頼みに行ったら、「どうぞ!どうぞ!」って言ってくださって、凄く嬉しかったです。


「ぷらそにか」で増えていった、聴いてくれる人

――「ぷらそにか」は個々にシンガーソングライターとして活動してるアーティストのユニットですよね。みんな、ベースはソロのシンガーソングライターとしての顔があるわけじゃないですか? そのあたりはどう思っていました?

そうですね、入れて頂いたのは私にとって大きかったです。

「ぷらそにか」に入ったことで、見てくださる方も凄く増えましたし、カバー動画をアップすると、私の声だったり、歌い方を好きになってくださった方が、私のソロでのライブに足を運んでくださったりして、どんどん積み重ねでファンの方が増えていったので、ほんとに入れて頂いてよかったなーと思っています。


「みんなが口ずさめるような曲」を

――今は自分の中で、どうですか? こうなりたいという夢に近づいてる感じはありますか?

夢に向かってどんどん階段を昇れている感じはします!

私自身を応援して下さる方が、次第に増えていっている実感があるので、ライブに来て下さる方も増えていますし、それはすごく嬉しいことですが、みんなが知ってるような歌、みんなが口ずさめるような曲を歌うのが目標なので、そこには、まだまだ全然追い付けてないですし、そこにたどり着きたいというのが私の夢です。

あとは、第一線で活躍してるアーティストさん達がしてること全部が夢です!

自分はバラエティーに富んだ人間になりたいなと思っています!!

言い方が見つからないんですけど、

私は、アーティスティックな人間じゃないんですよ。私はめっちゃ普通の人なんです!

でも、そういう人達の代弁者であって、共有できるものを曲を媒介にして、みんなと共感できるようになればなーと思います。

いろんなことに取り組めるアーティストになりたいです。

――いろんな可能性に挑戦してみたいんですね?

そうですね、自分の曲とか声とかというよりは、

人間「小玉ひかり」を、たくさんの人に好きになっていただけたら嬉しいです。

それで、人の心を動かすことができればいいなと思っています。


「まだまだ、甘い」――楽曲への葛藤

――夢に向かって突き進むためにあとは何が必要だと、自分で感じているところはありますか?

やっぱり、楽曲ですかね。

一人でやっていると自己満足で終わっちゃうことが多くて……

たぶん、曲をもっともっとこうしていけばこうなる!……もっと良くなる!っていうのが、完成させちゃうと、「できた!」「早く歌いたいなー」って思っちゃう人なんで。(笑)

やっぱり、まだまだ、甘いな、自分を甘やかしているんだなと最近、ひしひしと感じるので、今は、曲作りを頑張っています。

――「ぷらそにか」のスタッフが近くにいて、第三者目線で見てくれるというのはいいことですよね。友達同士だと言いにくいこととかありますもんね。

ほんとに、そうですね。そう思います。


「いやになっちゃったときの唄」

――自分の曲で、思い入れがある曲はありますか?

いっぱいあるので……

一曲と言われると、やっぱり、自分を知ってもらえるきっかけとなった、「いやになっちゃったときの唄」っていう曲ですかね。

マイナスなことを悲しく歌うのではなくて、明るくポップに歌ってる曲なんですけど。

すごく、反響があった曲なので、色んな人に共感してもらったんだなと思います。


曲が生まれるのは、夜。そして夕方の散歩

――曲作りはどういう風にやっているのですか?

夜が多いかもしれないです。今日作りたいって毎日思っています。(笑)

鍵盤の前で詩を書いたり、メロディーを考えたりっていうことは毎日しています。

曲が上手く完成させることができる時というのは、書きたいことが明確にあって、サビのフレーズが浮かんで、もう、フルコーラス書いちゃうみたいなことが多いです。

なので、書こうと思って書けるタイプではないんだと思います。

――曲作りで煮詰まってしまった時に気分転換とかでしてることはありますか?

今は、なかなか難しいですが、散歩します。

家の近所を一時間半ぐらい彷徨って帰ってくる、感じですね。

――長いですね!(笑)よく行く時間帯とかあります?

夕方が多いです、夕方の空が好きなので。

散歩していると、気分もリフレッシュされますしね。

後は、家の中で、ずっといると感性的にだんだん無になっていくので……

歩いていると、空だったり、歩いてる人とか観察して、それを曲作りに活かせてます。

今は自粛期間中なのでそれができないので、生みの苦しみを味わっているんです。(笑)


男性にも女性にも届く歌詞

――作詞に対して、何か、こだわりとかあります?

やっぱり、一番は共感してもらえる歌詞を書くことかなと思います。

――それは同性からってことですか?

いえ、私の曲は「女の子だけに」っていうのは少ないかなと自分では思っていて、基本的には、一人称は「僕」が多いかもしれません。

男子女子に限らず、誰もが悩んだりすることや、恋愛でも、男の子と女の子だったら、全然気持ちの揺らぎだったり違うと思うんですけど。

曲によっては女の子目線で書いたりすることもありますけど、でも、男の子目線で書いてみたりすることもあるので、あんまり、どちらかの性に固執しないようにしています。


ライブができなくなって、気づいたこと

――コロナの影響でライブとかできていないと思いますが、やっぱり寂しさみたいなものはありますか?

寂しいですね。

今年の秋にいろんなことを計画していて、春から、秋に向かって「小玉を知ってもらおう!」と考えていたことがいっぱいあったので、それが、できなくなってしまったので、寂しいです……

色々不安なことはたくさんありますけど、なにか新しい形で私の音楽を発信出来たらいいなと、今は考えています。

インスタとかYouTubeライブとか、できることを頑張っています。

でも、そこでファンの方からコメントをいっぱい頂けてうれしいですけど、やっぱり、画面越しでファンの方の顔が見えないので、生のライブっていいんだなー、大事なんだなーと今、凄く感じています。

――生のライブと配信のライブとは違いますよね。生ライブは、生ライブだからこその音楽の伝わり方がありますもんね。

やっぱり、マイクを通して自分の声が会場に響いてるのを聴くとテンション上がります。

ライブでは、できるだけお客さんの方を見るようにはしています!

どんな顔をして聴いてくれてるのか、気になるので。

見ると頷いてくれていたり、ちょっと、口ずさんでくれたりするのを見ると、凄く嬉しいですし、ライブの後の物販でも「〇〇から来ました!」みたいに、都内のライブにもかかわらず、遠方から来てくれるファンの方も増えてますし、自分の音楽が心だけではなくて、身体も動かしているんだと感じて、その分、お応えできる曲を「歌わないと!」って思います。


コンプレックスだった「声」

――ひかりさんが歌っているのを聴くと、音域とかすごく広いなと思うんですけど?

いえいえ!全然です、自分の音域はめちゃくちゃコンプレックスです。

女の子の中では、凄く声が低いんです。

喋ってる声はそうでもないかもしれないんですけど……

――意外です、コンプレックスを感じていたんですね。

最近やっと、ちょっと先が見えてきました!

前は高音は出ないって諦めることが多くて、「ぷらそにか」のレコーディングでも、「ここ、裏声じゃなくて、地声で歌ってよ」って指示された時に、「できません!」って言って(笑)、それでも、やらなきゃいけない時は、レコーディングブースのカーテンを閉めて、「見ないでください!」って言って、頑張って出していた時期もあったので。(笑)

――でも、小玉さんはすごく声が出るイメージですけど、密度があるというか……

いえいえ、そんなー、ありがとうございます。

「なんか、迫力あるね」みたいなことを言ってくださることもあるんですけど、自分ではわからないというか、自分が思ってる声と人に聴こえてる声って違うのかなと思います。

自分で自分の声はめちゃくちゃ普通の声だと思っていたんですけど、最近、いろんな人に「やっぱり、声がいいよ」って言ってくださることが多くて。

自分では気づけなかったことではあるんですけど……

やっぱり、私の持ち味は「声なんだ!」と最近思えるようになりました。


20歳になった小玉ひかり

――ひかりさんとお話ししていると、自分で自分のことを俯瞰で見れているなと思うのですが、自分ではどうですか?

今まで、客観的に見て気づけたっていうことがたくさんありますが、正直、自分が頑固者なんで、自信ないくせに「曲げたくない!」みたいなところがあるんです。

でも、最近は自分を見つめ直せる時間が、コロナの影響で増えて、素直になれる時が多いですね。

――そういえば、今年の2月で20歳になったんですよね? 何か20歳になって変わりました?

えーなんだろう……むしろあんまり変わらなかったって感じです。(笑)

「19」というオリジナル曲があって、作ったときは「19歳でいたい!」ってめちゃくちゃサビで歌っている曲があるぐらい、20歳になりたくなかったんですけど(笑)

あれ、こんな感じかって思いました(笑)

でも、あせりはあります、もちろん。

昔の自分は、きっと10代のうちにテレビで歌っている!!となぜか、自信を持っていたので……(笑)


「私も私なりの良さ」を

――ビリー・アイリッシュとか、年下のアーティストが出てきたのは自分では、どう思いますか?

ビリー・アイリッシュさんは年下に見えないですね(笑)

幾田りらちゃんがYOASOBIで活躍しているのを見て、すごく刺激になります。

でも、「ぷらそにか」メンバーとも話していたんですが、

「みんな、それぞれ、光るもの絶対あるから、私たちも頑張ろう!」

という話になったので、私も私なりの良さみたいなものを最大限に引き出して、いい音楽を作れるように、頑張りたいです。


「任せとけ!」

――今はコロナの影響で、アーティストとして活動することが難しい時期だと思いますが、小玉ひかりを応援してくれる人はたくさんいると思うので、そんなファンの方にメッセージみたいなものがあれば、お願いしてもいいですか?

今は、なかなか、直接皆さんとお会いできない、すごく、悲しくて、寂しい期間ではあるんですけど、だからこそ、私は音楽やってて良かったなと思います。

今、音楽は、SNSとかが発達して、届けられるものになったので、もちろん、みなさんに直接ライブでお届けしたいのはやまやまなんですけど、今は、とにかく、私が、たくさん、いろんな曲を作って、歌って、画面を通してでも楽しんで頂けるように、みなさんの生活に寄り添えるような曲をお届けしたいなと思っていますので、これからも、是非、応援よろしくお願いします。

必ず、応援してくれてるみんなをいろんな楽しい所に連れて行くので「付いて来い!」って感じです。

「付いてきてね!」

――「任せとけ!」って感じですね(笑)

「任せとけ!」「頑張ります!」って感じです!!

ライブができなくても、いろんなコンテンツを頑張りますので楽しみにしていてください!!


2026 EDITORIAL

「私はめっちゃ普通の人なんです!」

2020年のインタビューを読み返していて、小玉ひかりというアーティストを最もよく表していると思った言葉がある。

「私はめっちゃ普通の人なんです!」

普通。

アーティストを紹介する言葉としては、一見すると、とても地味な言葉かもしれない。

でも彼女は、それを弱点として話しているわけではない。

むしろ、その続きを読むと意味がわかる。

「そういう人達の代弁者であって、共有できるものを曲を媒介にして、みんなと共感できるようになればなーと思います。」

自分だけにしか理解できない世界を作りたいのではない。

誰にでもある感情を拾い上げて、歌にする。

だから彼女は、作詞について聞かれた時にも、

「一番は共感してもらえる歌詞を書くこと」

と答えている。

「普通」であること。

それは、小玉ひかりにとって、音楽を聴く人と同じ場所に立てるということなのかもしれない。


コンプレックスだった声

もうひとつ、2026年の今だからこそ印象に残るのが「声」の話だ。

こちらが、

「音域がすごく広い」

と伝えると、返ってきた答えは意外なものだった。

「自分の音域はめちゃくちゃコンプレックスです。」

「ぷらそにか」のレコーディングでは、高い声を地声で出すよう求められて、

「できません!」

と言ったこともあったという。

カーテンを閉めて、

「見ないでください!」

と言いながら歌ったこともあった。

ところが、その後、周囲から「声がいい」と言われることが増えていく。

そして20歳の彼女は、こう言った。

「やっぱり、私の持ち味は『声なんだ!』と最近思えるようになりました。」

自分ではコンプレックスだと思っていたものが、他人には魅力として届いていた。

これは面白い。

アーティストの「個性」は、本人が最初から理解しているとは限らない。

むしろ、自分が嫌いだったところ、自信がなかったところに、その人にしかないものが隠れていることがある。

小玉ひかりにとって、そのひとつが「声」だった。


20歳の焦り

2020年、小玉ひかりは20歳になったばかりだった。

本人は笑いながら話している。

「昔の自分は、きっと10代のうちにテレビで歌っている!!となぜか、自信を持っていたので……(笑)」

でも現実は、思い描いていた未来とは違っていた。

しかも同じ「ぷらそにか」では、幾田りらがYOASOBIとして大きく動き始めていた。

焦らないはずがない。

実際、彼女自身も、

「あせりはあります、もちろん。」

と言っている。

それでも、そこで誰かになろうとはしなかった。

「ぷらそにか」のメンバーたちと話した言葉が、とてもいい。

「みんな、それぞれ、光るもの絶対あるから、私たちも頑張ろう!」

そして、

「私も私なりの良さみたいなものを最大限に引き出して、いい音楽を作れるように、頑張りたいです。」

誰かが先に進んだから、自分もその人と同じことをする。

そうではない。

自分には、自分の光るものがある。

シンプルだけれど、アーティストとして活動を続けていくうえで、とても大切な言葉だと思う。


「人間・小玉ひかり」

そして、もうひとつ。

このインタビューには、2026年の今読み返しても、とても小玉ひかりらしい言葉が残っている。

「自分の曲とか声とかというよりは、人間『小玉ひかり』を、たくさんの人に好きになっていただけたら嬉しいです。」

曲だけではない。

声だけでもない。

人間・小玉ひかり。

それを好きになってもらいたい。

音楽だけを切り離して考えるのではなく、自分自身の生き方やキャラクターも含めてアーティストなのだという感覚が、20歳の時点ですでにあった。

そして、その根底にあるのが、

「人の心を動かしたい」

という思いだった。


「任せとけ!」から6年。

インタビューの最後。

コロナ禍でライブができず、先の見えない2020年。

小玉ひかりはファンに向かってこう言った。

「必ず、応援してくれてるみんなをいろんな楽しい所に連れて行くので『付いて来い!』って感じです。」

そして最後には、

「任せとけ!」

と笑った。

この言葉が、私は好きだ。

「絶対に成功します」でもない。

「夢を叶えます」でもない。

「任せとけ!」

そこには、小玉ひかりという人の明るさも、負けず嫌いなところも、ファンとの距離感も全部入っている。

2020年。

20歳。

自分の声にコンプレックスがあった。

思い描いていた未来に届いていないという焦りもあった。

もっといい曲を書かなければいけないと思っていた。

それでも、

「私も私なりの良さを最大限に引き出す」

と言った。

そして、

「任せとけ!」

と言った。

あれから6年。

だからこそ、2026年の今、このインタビューをもう一度残しておきたいと思う。

完成したアーティストの物語ではない。

これから何者かになろうとしていた、20歳の小玉ひかりの記録。

でも、その言葉の中にはすでに、

現在につながる「小玉ひかり」が、ちゃんといた。


NEXT EPILOGUE

そして、それぞれの未来へ。

Interview & Text:Holly
2020 Original Interview / 2026 Re-edit
Eleven Music Magazine

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