セルフプロデュースという才能
2020年、西山晃世は20歳だった。
作詞、作曲、アレンジ。
ギター、ベース、ドラム。
レコーディング、ミックス。
ひとつの楽曲を形にするために必要なことを、自分自身で手がける。
いまなら「セルフプロデュース」という言葉で説明できるかもしれない。
けれど、2020年の彼の言葉を読み返してみると、それは最初から完成されたスタイルとして存在していたわけではなかったことがわかる。
ギターを弾き、ドラムを叩き、ベースを弾き、曲を書き、歌う。
その過程で、
「弾き語りだけだと、自分の個性が出せない」
と感じた。
だから、
「なら、全部自分でやっちゃおうかな」
と思った。
そしてインタビューの終盤、彼はこんな言葉を残している。
「何か一つ足りないんですよ。」
あれから6年。
未来を知った今だからこそ、もう一度読みたい。
これは、2020年、20歳だった西山晃世の言葉だ。
西山晃世(にしやま・こうせい)KOSEI NISHIYAMA
西山晃世 Profile[2020]
優しくも力強いハイトーンボイスで奏でる音楽は多岐にわたります。
作詞、作曲、アレンジはもちろん、音源の録音時にはギター、ベース、ドラム等の楽器演奏から、レコーディング、ミックスまで自らこなすマルチクリエイター。
日常の風景や感情を、自身の言葉、自身のメロディーにのせて、独自の世界を奏でる、20歳の大学生トラックメイク・シンガーソングライター。
2020 ORIGINAL INTERVIEW
原点は、家族の車で流れていたJ-POP
――まずは、音楽と出会うきっかけを教えてもらえますか?
両親の影響で、家族で車で出かける時は、いつも、音楽が流れていました。
それが音楽好きになるきっかけですね。
――お父さん、お母さんは、どんな曲をよく聴いてました?
ミスチルさんとかスピッツさんとかのいわゆるJ-POPですね。
僕も小学校時代はミスチルが好きで、よく聴いてました。
今、やっている音楽はR&Bとか取り入れて、やっていますが、出身というか根っこは、J-POPの王道です。
8,000円のアコースティックギター
――音楽でプロを目指そうとしたきっかけはありましたか?
小学校4年生か5年生ぐらいの時にいきものがかりさんの、山下穂尊(やましたほたか)さんの影響で、通販で8000円くらいのアコースティックギターを買ったのが、楽器に初めて触れた時です。
そのあとにエレキギターを買ってみたりしたんですね、当時は、どっちかというとシャイな方だったので、歌うことより楽器を演奏する方に興味がありました。
その時はまだプロになることは意識してなかったですが、きっかけではあるかもしれないですね。
――今はボーカリストのイメージが強いので、少し意外ですね。
そうですね。
中学に入ってドラムも叩くようになって、高校に入った頃には、KANA-BOONさんの曲は、全曲叩けるぐらいまでになっていましたね。(笑)
それで、ギターとドラムが演奏できるようになったら、今度はベースをやりたくなっちゃったんですよ。(笑)
で、また、バイト代で、安いベースを買って、練習していました。
「the LESSON」が、音楽を職業にする入口になった
丁度、その年にSony Musicの「the LESSON」というオーディションがあったんですね。
調べてみたら、Sony Musicが、シンガーソングライターの講習を無料でしてくれるみたいな内容だったので、面白そうだなと思ったんです。
今まで、楽器とか独学でやってきたので、人に楽器を教えてもらうことはなかったんです。
理論とかいっさい気にしたことなかったので、それで、応募してみたら、ありがたいことに合格して5期生になることができたんですね。
それが、業界に触れる第一歩でしたね。
この時に、プロを目指してみようかなって思いましたね。
――自分で曲作りをするようになったのはいつ頃ですか?
Sony Musicのオーディションに応募した時ぐらいですかね。
応募の項目に「オリジナル曲があれば」というのがあったのですが、それまで、オリジナル曲は作ったことないなと思って、その時に作りました。
――Sony Musicのオーディションがオリジナル曲を作るきっかけだったんですね?
はい、そうですね。
曲を書き始めて、すぐに本格的に音楽活動を始めました。
弾き語りだけでは、自分の個性を出せない
――ターニングポイントというか、自分の音楽性はこんな感じでやりたいというのはありました?
当時は、秦基博さんが好きで、弾き語りを始めたんです。
その時は、ちょっとフォーキーな音楽をやりたいと思っていたのですが、弾き語りで一年ぐらい活動した頃に、アシッドジャズというか、そういう音楽が流行った時期というのもあって、自分もそういう感じの音楽をやりたいという気持ちが出てきたんですね。
弾き語りを一年やって来たんですが、自分の中で不完全燃焼感みたいな気持ちになっちゃって……
弾き語りだと、色んな楽器を触ってきたのに、自分の個性を活かせてないなと思ったんです。
頭の中で自分の曲のアレンジとかが鳴っているんですよね。
ただ、まだその時は形にするすべがなくて、なんて言うんだろう……
当時、僕の中ではアレンジ込みで一つの楽曲みたいなイメージがあって、自分の頭にある曲のイメージって、人と共有するのは難しくて、やっぱり、弾き語りでそれを表現するには限界があるなと感じたんです。
元々はオルタナティブフォークみたいな感じでやりたいと思っていたのですが、ちょっと、腹くくってというか意を決して、そっちに飛び込んでみようかなと思って。
その時に、シンガーソングライターよりも、トラックメイカーの方が、面白いなと思っていました。
「なら、全部自分でやっちゃおうかな」
――メロディーだけではなく、アレンジ、トラックも含めて楽曲を作っていきたいと思ったのですね?
それで「moon」みたいな、お洒落でかっこいい曲が作れるようになったのですね。
ありがとうございます。
アレンジ込みで自分の曲というイメージがあったんだと思います。
弾き語りだけだと、自分の個性が出せないと思って、なら、全部自分でやっちゃおうかなって感じですかね。
――そうなってくると、一人で弾き語りスタイルのライブ活動もちょっと方向性を変えないといけなくなりますよね?
そうですね、ライブはその時は重視してなかったのもあって、あまり活発にライブ活動もしていませんでした。
自分の中でギターを弾きながらだと、自分が納得するボーカルを発揮できないなっていうのがあったんですが、トラックメイカーだと、ライブで音源を流せばいいので、ボーカルに格段に集中できるんですよね。
納得のいくパフォーマンスできるんです。
トラックメイカーになってからは、ライブを楽しめるようになりましたね。
ボーカルという楽器
――自分で歌うということに集中したかったんですね?
僕、人の研究とかするのが好きで、曲の研究とか、アレンジもそうやって勉強したんですけど。
何でこの人の曲って心に響くんだろう……
自分の中で響く歌と響かない歌があって、この人の特徴ってなんだろうな?と思った時に、ライブ映像を見ると、楽しい曲だったら、顔が笑ってるし、悲しい曲だったら、泣きそうな顔をしているんですよ。
それを見た時に、表情とか、自分で持っている心情の変化って歌に出るんだなと思って、自分でもやってみたら、意外と様になるというか、自分でレコーディングしていて、これいいなと思ったテイクが明らかに全然違うものがあって、そういう風に感じると、ボーカル楽しいなと思うようになって。
歌が、上手くなるのが楽しくて、やっぱり。それからはボーカル一筋ですね。
ハイトーンボイスは、女性曲を原曲キーで歌ったことから
――今、こうやって取材させて頂いている時の話す声と歌を歌っているときの声って違いますよね?
よく言われるんですけど、僕、全然そういう技術的なことはわからないんですけど、もともと、女性が歌う曲が好きで、それを原曲キーとかで無理やり歌っていました。(笑)
あんまり、お勧めはしないんですが、ほんと、無理やり出して歌っていたので、音域が広がったというか、こういう声になりましたね。(笑)
初めての作品も「全部、自分で」
――初めて音源を発売したのはいつ頃ですか?
2018年の12月にファーストEPを出しました。
弾き語りで、オルタナティブフォークという形をとっていた時に、自分でトラック作って、レコーディングとかミックスとか全部自分でやっていたのですが、まだ、トラックメーカーとは名乗っていなかったですね。
――それはどういうきっかけで出そうと思ったのですか?
単純に自分の作品というのが欲しいなと思っていて、やっぱり、「ぷらそにか」メンバーとかとライブやると、物販とかあるじゃないですか。
他のメンバーがCDを売っているのを見て、自分も「CD出したいなー」と思って、まあ、最初だし全部、自分でやろうかと思って、手作りで自分のCDを出しました。
――その作品は自分ではどうでしたか?
今日、取材があるということで自分の曲を全部聞き直していたのですが(笑)
そうしたら、なんかこう技術的なミックスとかレコーディングの技術とかほんとひどいなーと思ったんですよ。(笑)
今聴くと、レアというか味があるんですけど、当時、できた時はすごい自分では嬉しくて、初めて、ギター以外の楽器を自分でやっていたのもあって、自分の頭の中で鳴っている音をそのまま落とし込んだので、達成感というか、そういうのが凄かったのを覚えていますね。
今聞くと、「そんなことするの?」みたいな斬新なアイデアとかあるので、自分の曲ですけど、面白いアレンジだなと思いましたね。(笑)
「ぷらそにか」は、個性の塊
――「ぷらそにか」の活動はやっぱり刺激にはなります?
全然違いますね。ほんと、僕はずっと一人で活動してきていたので、「ぷらそにか」って、個性の塊というか、我がつえー人が集まっている。
それをこうやっぱ間近で見ていると迫力あります。
なんか、「おもしれーなこいつら」と思いますね。(笑)
――みんなシンガーソングライターで、ソロで活動している人達ですもんね、現場で刺激を貰えますよね。
そうですねー、僕、結構ボーカルディレクションとかわりと好きで、「ぷらそにか」のスタッフさんのボーカルディレクションのやり方を見ていて、いろんなエンジニアさんとかディレクターさんの技術を目で盗んだり、耳で盗んだりして、自分のトラックメイクに活かすようになりました。
自分の中に第三者的目線で見るみたいなことがちょっとできるようになりましたね。
自分のボーカルディレクションに役立っているのかなと思います。
心も支え合い、技術も与え合う
――方向性としては「ぷらそにか」として、デビューするということではないじゃないですか、メンバーそれぞれがアーティストとして活躍することがコンセプトですよね?
そうですねー、自分が足りないところはメンバーから学んだり、助けてもらったりできるので、例えば、ピアノが欲しい時は、誰かに頼もうかなとかありますし。
後は、僕はロジックという音楽ソフトを使っているのですが、幾田りらちゃんが、そのロジックを導入したらしくて、わからないことがあれば、すぐ電話がかかってくるんです。(笑)
そうやって、心も支え合いつつ、技術も与え合いつつみたいな感じですかね。
シンガーソングライターって、結構、世間から見ると、異質な存在じゃないですか?
――そうですか?(笑)
若いっていうのもあるんですかね。
学生なのに、個人で何かを目指して活動しているというのは、高校生だとやっぱ、珍しくて、早い段階で「音楽で食っていこう」って、腹をくくっている人があんまりいないです。
「やるならやる!」
――西山さんはいつ頃、腹をくくったのですか?
僕は高校2年ぐらいですかね。
それこそ、Sony Musicのオーディションが受かった頃に、「音楽業界で食べて行こう」「音楽を職業にしよう」と思いましたねー。
――自信はありました?
自信というか、中途半端でやるのが嫌で、
「やるならやる!」
って感じですかね。
でも、精神的にもきつい時期もあって、そういう時に救いを求めるとか相談できるのはメンバーでしたね。
同年代のメンバーがいるというのがすごく大きかったですね。
今だに、メンバーに連絡とか相談とかしますからね。
困ったことがあれば、まず、最初に聞きますね。
めちゃくちゃ仲がいいと思います。
「ぷらそにか」は、ほんと、仲が良くて、マジで支えですね、あの人たちは。
「何か一つ足りないんですよ。」
――今、プロになると決断して、3年ぐらいじゃないですか、自分の中での理想像と比べて、現実はどうですか?
僕、いろいろなオーディションとかファイナルまでとか行けることが多いのですが、
いつも、あと一歩で逃してしまうんですよ、何か一つ足りないんですよ。
でもそれが何か自分でわからないんですね。
自分の周りの子が売れていったりするのを見ると、あの子にもできるのであれば、自分でもできるんじゃないかっていうのが、僕の中にあって、それを信じて走り続ける感じですかね。
PART 2
悔しさから生まれた「CUL!」
――6/4に新曲「CUL!」が出ましたね。
これは、トラックメイク・シンガーソングライターになる時に書いた曲なんですよね。
当時「未確認フェス」と「出れサマ」っていう大きなオーディションがあったのですが、両方落ちまして……。
それが悔しくて、
「何が足りないんだろう……」
っていう気持ちをそのまま書いたのが「CUL!」です。
弾き語りで自分の良さが出せないこととか、悶々とした感じとかをそのまま曲にしたので思い入れがありますね。
J-POPの歌詞と、J-POPではないサウンド
――今、J-POPにあんまりいないタイプのアーティストだと思いますが、自分ではどうですか?
歌詞はJ-POP要素を持ち込んでいるのに、サウンドがあまりJ-POPっぽくないからなんですかね。
でも歌詞は大事にしたいなって思っています。
高3の時落ち込んでた時期があったのですが、その時に響いた曲ってストレートな歌詞の曲だったんですよね。
ストレートすぎるのも面白くないのでそこはうまく自分っぽさをブレンドしてますが、どんなオシャレな曲を作ったとしても、そこは大事にしていきたいですね。
「聞いてて飽きさせないのもアレンジの仕事」
――西山さんの曲は、構成が複雑な曲が多くないですか?
そうですね、ファーストEPの時はサビが一回しか出てこない曲作ったり、攻めたことしてたんですけど。(笑)
僕はアレンジも自分でやるのですが、聞いてて飽きさせないのもアレンジの仕事だと思うんですよね。
キメを作ったり、2Aから、2B、2Cを飛んで2Dにいくとか。
あとは間奏を挿してギターソロに持っていくとか。
僕の曲はループものが多いので、曲の構成は割と意識していますね。
――こういうコアな話を取材でしてて大丈夫ですかね?(笑)
インタビュー的にいいんですかね(笑)
――私は、すごい、面白いので、OKです(笑)
「一人じゃない」
――最後にファンの方へのメッセージ、もらえますか?
6月4日に「moon」を公開させて頂いたんですけど、リアルタイムでファンの方と視聴するという、プレミア公開というYouTubeの機能を使ったのですが、公開した時に凄く多くの人が見に来てくれて、いろんなコメント頂いたし、ツイッターとかインスタとかもですが。
凄いいろんな感想を頂いて、その時に僕って改めていろんな方に、応援して頂いているんだなと感じたんですよね。
「ぷらそにか」のライブの渋谷のWWW Xに立った時に思ったんですけど、ここ何年かで色んな環境が変わったなというか、いろんな方が応援して下さるようになって、ファンの方に感想とか頂くと本当に支えになるんですよね。
それがあるかないかで、曲も変わってくるし、すべてに影響すると思うんですよね。
自分一人で作っているんですが、
一人じゃないなみたいな気持ちが凄いあって、何か出せば、誰かが見てくれるし、感想くれるし。
作ってる僕としても、この曲で誰かの人生変わるまではいかないとしても、感情の変化があるかもしれないと思うと、作る気持ちも凄く変わりますね。
もう、ほんとに感謝してます。
色んな人の支えがあってこそ、自分が活動できているので。
赤坂BLITZへ
――ちょっと、コロナでまだ先がみえないですが、8月の「ぷらそにか」のライブ、できるといいですね!
どうなるかわからないですが、8月のライブは個人的にすごい楽しみにしていて、赤坂BLITZなんて、人生で立てると思っていなかったので……
「ぷらそにか」ワンマンライブなので、ファンの方に感謝を伝える意味でも、ライブができるといいなと思います。
(取材した時は、配信ライブが決まる前です)
あとは「CUL!」を是非聞いてください!
YouTube、各サブスクで聞けますので!
2026 EDITORIAL
「何か一つ足りない」と言った20歳
2020年のインタビューから6年。
改めて読み返して、いちばん引っかかったのは、やはりこの言葉だった。
「いつも、あと一歩で逃してしまうんですよ、何か一つ足りないんですよ。」
当時20歳。
オーディションではファイナルまで行く。
曲も作れる。
歌える。
ギターも、ベースも、ドラムも演奏できる。
アレンジもする。
レコーディングもする。
ミックスもする。
それでも本人は、
「何か一つ足りない」
と感じていた。
そして、その「足りないもの」が何なのか、自分でも分からないと話していた。
「全部、自分でやっちゃおうかな」
もうひとつ、2026年の今、強く残る言葉がある。
「弾き語りだけだと、自分の個性が出せないと思って、なら、全部自分でやっちゃおうかなって感じですかね。」
この言葉は、西山晃世というアーティストを考えるうえで、とても重要だと思う。
最初から「マルチクリエイターになろう」と決めていたわけではない。
自分の頭の中では音が鳴っている。
でも、弾き語りだけでは、それを表現しきれない。
人に伝えるのも難しい。
だったら、自分でやる。
ギターを弾く。
ベースを弾く。
ドラムを叩く。
トラックを作る。
録音する。
ミックスする。
歌う。
プロフィールに書けば、「マルチクリエイター」の一言で終わる。
けれど、その言葉の裏側には、
自分の頭の中で鳴っている音を、そのまま形にしたい。
という、とてもシンプルな欲求があった。
「CUL!」と「何が足りないんだろう」
そして興味深いのは、「CUL!」について語った言葉だ。
「未確認フェス」と「出れサマ」。
ふたつのオーディションに落ちた。
その悔しさから出てきたのが、
「何が足りないんだろう……」
という感情だった。
インタビューの別の場所でも、彼は、
「何か一つ足りないんですよ。」
と言っている。
同じ感情が、言葉として残り、曲にもなっている。
完成していないことを恐れるのではなく、その「足りなさ」まで音楽にしてしまう。
2020年の西山晃世には、すでにその姿勢があった。
一人で作る。でも、一人ではない。
もうひとつ、このインタビューを読み返して気づくことがある。
西山晃世は、何度も「一人で作る」という話をしている。
でも、その一方で「ぷらそにか」について話す時には、まったく違う言葉が出てくる。
「心も支え合いつつ、技術も与え合いつつ」
そして最後には、
「自分一人で作っているんですが、一人じゃないなみたいな気持ちが凄いあって」
と語った。
これは矛盾していない。
むしろ、彼のセルフプロデュースというスタイルを考えるうえで、大切な部分なのだと思う。
一人で全部作ることと、一人だけで音楽をやることは違う。
自分で作る。
でも、人から学ぶ。
人に支えられる。
そして、その音楽を聴いてくれる人がいる。
20歳の彼は、そのことをすでに知っていた。
6年後に、もう一度。
2020年。
西山晃世は、
「何か一つ足りない」
と言った。
でも、今読み返してみると、その言葉そのものが彼を前へ進ませていたようにも見える。
足りないから、考える。
足りないから、研究する。
足りないから、作る。
足りないから、自分でやってみる。
そして、自分の頭の中で鳴っている音に、少しずつ近づいていく。
結果を知っている現在から過去を見ると、簡単に「あの頃から才能があった」と言えてしまう。
でも、このインタビューに残っているのは、完成されたアーティストの言葉ではない。
迷っている。
悔しがっている。
自分に足りないものを探している。
それでも、
「あの子にもできるのであれば、自分でもできるんじゃないか」
と、自分を信じて走ろうとしている。
その姿こそ、2020年の西山晃世だった。
「何か一つ足りない」と思い続けられること。
もしかすると、それこそが、クリエイターにとって大切な才能のひとつなのかもしれない。
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Episode 2|幾田りら
Interview & Text:Holly
2020 Original Interview / 2026 Re-edit
Eleven Music Magazine

